れいちぇるのおつまみなブログ

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愛すべき無駄遣い。無駄が自分の輪郭を作るとか作らないとか。

先日、Twitterで何気なくつぶやいたポストにびっくりするくらい多くの反響があった。

30代に入り、漸くお金の使い方に軸が出来たものの、これは若い頃のあの勢いのある無駄遣い、無駄遣いの土台あっての今の軸!と思いポストした。共感のコメントを読むうちに過去のお金の使い方を振り返りたくなったのでブログに。

今のお金の使い方はこちらに。

rei-omori.hatenablog.com

「〇〇ちゃんの持ってるあれが欲しい」。"お揃い"文化な小学生時代。

小学校の世界はとてもシンプルだった。雑誌を読む習慣もなく、もちろんSNSだってない。”あれが欲しい”の感情はいつだって友人からやってくる。

仲良しの子が持ってるハイビスカスのメモ帳、厚みが可愛いタイル風シール、良い香りのするペン。小さな世界では友達とお揃いの文房具を持つことが大切だった。

お揃いのためにお年玉を握りしめて、家の近くの文房具屋に何度も足を運んだ。特にシールに関しては”シール交換”と呼ばれるシールを見せ合い、交換するイベントが友人間で行われていたので課金には気合いが入った。

懐かしくなってシールをゲット。今のシールも可愛い。

自分のシールを披露出来るのはシール交換の場だけ。それ以外に使い道はない。そのためだけに選んで買ってシール帳に貼ってを繰り返す。無駄遣いならぬ謎遣いであった。

「モデルさんみたいに可愛くなりたい」。”可愛い”で頭がいっぱいな中高生時代。

中学生になると雑誌を読む習慣がついた。当時流行っていたファッション誌Hana*chu→(花の中学生の意)に夢中になった。流行りのブランドに可愛いモデル、中学生カップル特集。モデルを見て、”可愛いことは強い。おしゃれに生きねば”と思春期の私は心に決める。

雑誌の世界観に少しでも近づきたくて足繫く渋谷の109(通称マルキュー)に通った。お小遣いはほぼマルキューに消えた。似合うかどうかは二の次。流行りのブランド服(セシルマクビー!!)を買い漁った。「マルキューに憑りつかれてる。ほどほどにしなさい」と母に良く怒られたが、”可愛い自分”探しは高校生まで続いた。

当時の私は雑誌で好きなモデルのコーディネートを見つけるとせっせとハサミで切り抜きスティックのりでペタペタとノートに貼り、お気に入りコーデのスクラップブックを作っていた。捨てずに今も持っている。Hana*chuからポップティーン、海外セレブ雑誌。当時の私の”可愛いとの格闘”がそこにはある。ああ青春だ。

「誰かに特別な人だと思われたい」。承認欲求の肥大化が進んだ大学生時代。

大学生になると出会いの幅がぐっと広がった。綺麗で聡明な人、顔が広い人、自分なりのファッションセンスを持ってる人、ベンチャー企業インターンしてる人。自分以外の誰もが特別に思えた。「私も誰かに特別な人だと思われたい」。自分の強い承認欲求に気づいた。

モテを意識した花柄ワンピースファッション、彼氏に好かれるためのセンスの良い誕生日プレゼント、コネ作りで行った社会人との飲み会、みんなやってるからで始めたインターン(時給安い)。”特別な自分”になるためにたくさんお金を使った。

産休中にラインの連絡先を整理した。どこの誰かも分からない連絡先を大量に消した。学生時代のがむしゃらに行動して、出会って、広くて浅い人間関係を築いて特別な自分探しのような何かに夢中だった自分を思い出し、懐かしくなった。

「誰かに触れ合って、自分の輪郭を確かめたい」。無駄遣いについて改めて考える。

過去の無駄遣いを振り返り、柚木麻子さんの小説『ナイルパーチの女子会』の一節を思い出した。

誰かに触れ合って、自分の輪郭を確かめたい。

ナイルパーチの女子会』柚木麻子

物語は、総合商社勤めバリキャリOLとして活躍する栄利子とダラダラが大好き楽して生きたい専業主婦の翔子が翔子の日常を綴るブログをきっかけに出会う場面から始まる。日常で異なる世界に住む2人が出会い、お互いを通して自身の狂気に気づき始める...。

自分が特別だと感じたい。自分の不完全さを認めて欲しい。自分とは何か。栄利子と翔子、主人公の輪郭が他者との交わりによって徐々に明確になっていく様子は私の過去の無駄遣いの思い出とよく似ていた。

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誰かの真似をしたり、気に入られたくておしゃれな服を買ったり、そこに意味があるのか無いのか分からなかった。でも振り返ってみると、その他者との関わりの中で迷いながらも自分の輪郭を探したこと、そのプロセスは決して無駄ではなく今の自分を作った価値ある愛すべき時間だった。無駄遣いは無駄ではなかった。

30代、お金の使い方には明確な軸が出来た。自分の輪郭は前より少しだけはっきりとした。でもところどころぼやけている。はっきりする日は来るのだろうか。でもそんな自分がどうだとか、認められたいとかダラダラ考える時間はもしかすると無駄じゃないかもしれない。これからは日常の無駄を愛そうじゃないの(無駄遣いはダメ)。そうひっそりと心に誓った。

 

それでは素敵な週末を。

 

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